2011年12月28日水曜日

1969

小説・映画・音楽・マンガ……。日本のポップカルチャーが海外進出にことごとく失敗し続けてきた中で、なぜテレビゲームだけが80年代に世界を席巻できたのか。理由の一つとして「テレビゲームは言語に縛られないメディアだったから」という点があります。裏を返せば言語の壁は日本のコンテンツが世界進出するにあたり、最大の壁でした。

一方で「日本の文化」をきちんと海外に伝えるためには、ローカライズなんてしない方が良い、という意見もあります。歌舞伎の海外公演などがそうです。もっとも、このスタイルでは商業的成功は望めない、というのが過去の常識でした。市場で幅広く受け入れられるためには、しっかりとしたローカライズが必要。理想を言えば現地のクリエイターが開発したかのように錯覚してもらうこと。僕もそんな風に言い続けてきました。

ところが、そんな議論を一蹴してしまう、過去最大のヒットコンテンツが音楽業界で登場しました。ご存じ、由紀さおり&ピンク・マルティーニによるコラボ・アルバム「1969」です。僕もAmazonのダウンロード配信で購入して聞いてみましたが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」をはじめ往年の名曲がずらり。スキャットの曲もありますが、多くは日本語の歌詞のまま歌われています。

http://www.barks.jp/news/?id=1000073956

ごめんなさい。正直に言って僕には、その価値が正確にわかりません。だって由紀さおりですよ? 1971年生まれの僕の世代だと、「ドリフターズとよくコントで絡んでいたコメディエンヌ」「姉妹のスキャットが物まねのネタになる人」という認識でしたから。オリジナルのレコードを聴いた経験もゼロ。でも、たぶん21世紀になって海外で再評価され、こんなに大ヒットするなんて、たぶん誰も予想しなかったと思います。

では、なんで「1969」現象が巻き起こったのか。いま音楽界そして経済産業省的にはAKB48のアジア戦略に注目が集まってますが、一方で「1969」の成功事由もきっちり分析していく必要があるはずですよね。でも、なんでヒットしたのか、その理由が誰もつかみきれていない気がする。いわば宝くじというか、交通事故みたいなもので、第二、第三の「1969」なんてあり得ない……。そんな空気を感じるのは僕だけでしょうか? 

そこで30年来の由紀さおりファンで、iPodにレコードからデジタル化した音源が、オリジナルジャケットと共に大量に入っているという知人のゲーム開発者に聞いてみました。その彼曰く「たぶん彼女が評価されたのはボーカリストの本質である『声の質』そのものだとおもいます。由紀さおりの歌唱力もそうとうなものですが、海外のボーカリストの歌唱力はケタ違いですからね。」とコメントしてくれました。

「哀歓があり、透明感があり、邪推のない素直な心が感じられる声。特に若い頃の由紀さおりは新人としての緊張感があり、いいですよ。それを海外が評価したというのはさすがだなぁ。そこにはたしかに日本的な哀歓・郷愁といったものがすこしはあると思いますが、それはボサノバ等、全人類にある感覚で、今回は特に日本的なものとしての評価ではないと思います。」

要するに、歌が上手かったから売れた、というわけですか。うーん。。。

ただ、ここでポイントとなるのは、ヒットの経緯です。「ピンク・マルティーニのトーマス・M・ローダーデールが、ポートランドの中古レコード店でファーストアルバム『夜明けのスキャット』(1969年発売)のアナログ盤(レコード)を発見」したこと。そして「収録曲「タ・ヤ・タン」を日本語でカヴァーして、Youtubeにアップしたこと」(以上上記リンクから引用)。この2ステップがきっかけになったとか。

つまり文化を越える際の媒介役がいて、その人物が由紀さおり的な音楽を求める潜在的な海外マーケットを、Youtubeを介して発見・開拓した、という風にまとめられそうです。よく「海外展開では信頼できる強力な力を持ったパートナーを見つけることが大事」などと言われますが、これもその好例だと言えそうです。少なくとも東芝EMIの力だけでは(失礼!)ここまでのヒットは望めなかったでしょう。

ただ、個人的にはもうちょっと詳しく、ヒットの内容を知りたいところですよね。どこの国で、どれくらいずつ売れたのか。主な聴衆層はどうか。楽曲のどこにひかれたのか。少なくとも今回の件をして「60年代の歌謡曲は海外でもヒットする」と考える音楽関係者はいないでしょう。もうちょっと客観的なデータをもとに、自分の頭で考えてみたいところです。誰かこのあたり、取材してレポートを書いてくれませんかね。

もう一つ。確かに現地パートナーとの協業は大事なんですけど、良質じゃないパートナーの方が多いのも、また事実。そうした、いわゆる「悪徳ブローカー」に、めんどくさいからといってコンテンツを丸投げして、クリエイターの意図せぬ形に再編集されて放映されたなんて話も、特にアニメでは良くあったようです。でも日本側からすれば、ちょっとでもライセンス料がもらえればいいか、みたいな。これじゃ駄目なんです。

というわけで、パートナー探しも含めて、いかに日本のパブリッシャーが戦略的に攻めていけるかという点が重要なのではないかと。東芝EMIさんの今後の展開に注目していきたいところです。

あ、ちなみにAmazonのダウンロード配信はファイル形式がMP3でDRMも皆無なので、ハンドリングがしやすく、オススメです。ぜひ「1969」を購入して、聞いてみてください。

2011年12月20日火曜日

過去の資料を整理しました

小野です。IGDA日本のNPO化に向けて規約の整備が続いています。
SIG-GLOCでも過去10回+1回のセミナーを開催しており、その情報を集約する場として下記サイトを作成しています。昨日あらためて整理をして、リンクなどを追記しました。手前味噌ながら、情報がかなり集約されているのではないかと思いますので、ぜひご利用ください。またトップページには世話人のメールアドレスも公開しております。
https://sites.google.com/site/sigglocsummary/sig-gloc?pli=1 

なおSIG-GLOCはIGDA本体のLocalization SIGと協力関係にあります。こちらのサイトは下記の通りです。
http://wiki.igda.org/Localization_SIG


2011年12月12日月曜日

世話人の交代について


SIG共同世話人(だった)小野です。表題にもあるとおり、このたび部会世話人が下記のように変更になりましたので、ご連絡差し上げます。

(旧)
SIG共同世話人 小野憲史
同 稲葉治彦(ナニカ)
同 長谷川亮一(セガ)
同 エミリオ・ガジェゴ(バースデーソング音楽出版)
同 中村彰憲(立命館大学)

(新)
SIG正世話人 稲葉治彦(ナニカ)
SIG副世話人 長谷川亮一(セガ)
同 エミリオ・ガジェゴ(バースデーソング音楽出版)
同 中村彰憲(立命館大学)

なお、今回の改選に伴い、小野憲史はSIG運営スタッフとなります。
また、現在運営中のグローカリぜージョンブログは引き続き、運営スタッフとして僕の方で管理していきます。
活動資料などについても同様です。

というわけで、前回のエントリで「代表になってもSIGをがんばります!」と宣言していたにもかかわらず、力足らずで申し訳ありません。もっともこれからも、運営スタッフとしてできる限りSIGの活動を盛り上げていきます。

実は現在IGDA日本では、NPO化に向けて規約の整備を進めており、新たに代表と副代表は本職の活動をさたまげない範囲で、SIGの世話人を1つだけ兼務できることになりました。
ただ、もろもろの運営雑務が思った以上に大変で、なかなかSIGの運営にまで手が回らないこともあり、他の共同世話人の方々にご相談したところ、稲葉さんが快く手を上げてくださいました。
稲葉さん、改めましてありがとうございます。

今後のSIGの活動ですが、年内はブログの更新が中心となる予定です。
来年3-4月には、好例のGDC報告会を行います。
その前後で別のセミナー企画が進行中ですので、詳細が決まりましたら、またご連絡できるかと思います。

なお、別途配信していたSIG活動のニュースレターも、世話人の交代にともない、今後はIGDA日本のニュースレターと融合する形で終了いたします。

今後ともよろしくお願い申し上げます。